星座の間を惑うように動く星 ~理科野外観察的分野 200430 10minボックス
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10min.ボックス 理科野外観察的分野
第12回 星をみる~火星の動き
火星は、星座を作る星とは異なり、星座の間を惑うように動く。惑星と呼ばれる理由である。火星の動きを観察し、そのしくみをモデル実験で考える。
- 火星の動きについて。惑う星。
- 星座として捉えられている星は、惑う動きはしていない、つまり皆恒星。恒星だらけということ、考え出すと怖いなぁ。というか、宇宙怖い。
- 天動説を信じていた時代に、順行、逆光をどうにか説明しようとした結果、とても高度で複雑怪奇な「説」になってしまったのよね。あれはあれですごい。
- 地動説だと説明が簡単になる…と。
- 順行:星座の中を火星が西から東へ移動していくこと。
- 留(りゅう):順行してきた火星が途中で一度留まり、向きを変えて西に戻っていく。この留まる動きのことを留という。
- 逆行:東から西へ移動していくこと。おうし座に入ったところで、逆行から順行に変わるが、このときも留になる。
- 地球も火星も太陽の周りを回っており、どちらの軌道も太陽を中心とした円とみなす。火星は地球よりも外側を回っている。
- 地球は太陽の周りを365日で1周。一方、火星は687日。
- 同じ地点から回り始めたとして、1か月経つと、地球は一周の12分の1進んだ位置にいるが、火星が動く角度はそれより小さい、つまり回った距離が短い。さらに時間が経過すると、地球と火星は次第に離れていく。
- 12か月後に地球が太陽の周りを一周し、13か月後は太陽をはさんで地球と火星がほぼ一直線に並ぶことになる。このとき、火星は地球から最も離れている。火星は太陽と同じ方向にあるので地球上からは見ることができない。
- 13か月を過ぎると、地球と火星は再び近づく。
- 26か月後、再び太陽、地球、火星の順に一直線に並ぶ。このとき火星は地球に最も近い。
- ⇒地球と火星はおよそ26か月、平均780日ごとに、接近を繰り返す。
- 地球と火星が近づいていくとき・・・地球から見た火星は順行となる。
- 地球が火星を追い越すころ・・・地球から見た火星は逆行となる。その後順行に戻る。
- 火星が星座の中を移動していくのは、地球と火星がどちらも太陽の周りを回っていて、お互いの位置関係が変わるため。
- 地球に接近した火星は、年によって見える大きさが異なる。
- 火星の軌道は少しつぶれた楕円。
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10min.ボックス 日本史
第8回 江戸時代の産業と交通
江戸時代、日本の産業・経済・交通は大いに発達した。その様子を理解する。また鎖国時代の海外との交流についても考える。
- 「高校講座」のほうでは大きい流れをつかんで、10minボックスのほうでこまごまとした暗記知識をサポートする、という学習方法がいいのかもしれないな。
- 江戸時代は人口のおよそ85%が農業や漁業・林業などに従事し、百姓と呼ばれた。
- 新田開発。
- 備中鍬
- 千歯扱
- 唐箕
- 商品作物:野菜など。商品として、人々が集まる町へと運ばれて、各地でお金による取引が行われた。
- 今の静岡や京都のお茶。山梨のぶどう。和歌山のみかん など。土地の名産品。
- 漁に使われる網が改良され、漁獲量が増えた。
- 今の千葉県九十九里浜の地曳網によるイワシ漁
- 北海道渡島半島付近の刺網によるニシン漁
- イワシやニシンは干鰯や〆粕といった肥料に加工された。油かすとともに、金肥と呼ばれ、普及。
- 五街道:東海道・中山道・甲州道中・日光道中・奥州道中。大名の参勤交代などに使われ、街道沿いには宿場が設けられた。
- 宿場:大名の宿となる本陣や、家来や旅人が泊まる旅籠屋などを中心とした町
- 関所:街道の要所に置かれ、通行人に対して厳しい取り締まりを行った。人質として江戸に住まわされていた大名の妻や子どもが国元へ逃げ出さないか、あるいは鉄砲などの武器が江戸に持ち込まれないか。入鉄砲・出女。
- 脇街道と呼ばれる道もつくられ、全国の都市が道で結ばれていった。
- 年貢米は、各藩の蔵があった大坂や江戸へ船で送られた。
- 西廻り航路:今の山形を出発点に、佐渡、島根、山口、そして瀬戸内海を通って大坂へ。大坂を出た船は、紀伊半島をまわって江戸へ。
- 東廻り航路:山形を出て東北地方から太平洋沿岸を通り江戸に入るルート。
- 菱垣廻船や樽廻船。
- 江戸時代の初め、商人を中心に人々は盛んに海外へと進出していた。
- フィリピン、ベトナム、カンボジア、タイなど東南アジアの各地に日本町が作られた。
- 1637年、島原の乱をきっかけに、海外との貿易は厳しく制限されるようになった。
- 三代将軍徳川家光はスペイン船に加え、ポルトガル船の来航も禁止し、オランダ人を長崎の出島に移した。・・・鎖国。
- 中国と、キリスト教を広めないオランダとの貿易は長崎の出島に限った。出島は人工島。日本人の出入りは厳しく制限。
- 唐人屋敷:出島近くの、中国との貿易の窓口。
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《関連記事》「日本史」の項。