母Mと息子Sの学習キロク

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「漂流民についてのテーマ史」などの出題例もありそう。 ~日本史・世界史 200421火曜 高校講座テレビ

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日本史と世界史は、同じ時代の頃が同日放送されるから、連動して理解しやすい。

 

火1:日本史

第24回 第3章 近世社会の形成と庶民文化の展開 幕藩体制の危機

18世紀末から19世紀にかけて、外国船が頻繁に日本近海に出没するようになったが、それらの船はなぜ日本にやってきたのだろうか。また、幕府はどのような対応をしたのだろうか。国内では、老中・水野忠邦が中心となって天保の改革がおこなわれたほか、諸藩でも改革がおこなわれた。それぞれ、どのような背景のもとに、どのような改革がおこなわれたのだろうか。そして、その結果がどうなったのかを探っていこう。

 

  • 1792年、11代将軍・家斉のころ、大砲で武装したロシア船・エカチェリーナ号蝦夷地の根室に来航。ロシアの使節ラックスマンは幕府に通商を求めた。
  • 幕府側は、外交の窓口である長崎に向かうことを指示し、長崎の入港証を交付。
    ラックスマン、帰国。⇒幕府は問題を先送り
  • 大黒屋光太夫三重県の港を拠点とした廻船の船乗りだったが、江戸に向かう途中、アリューシャン列島まで漂流。ロシアに保護されて、ラックスマンと一緒に帰国してきた。
  • 1804年、ロシア使節レザノフ。長崎の入港証とロシア皇帝の親書を持ち長崎に来航。幕府はレザノフを半年以上長崎で待たせたあげく、入港証を取り上げ、通商も親書の受け取りも拒否。⇒無礼な態度で追い返されたレザノフは激怒。部下に北の島々(樺太や択捉)にある日本の施設を襲撃させた。
  • ⇒幕府は、北方沿岸の警備を東北の大名たちに命じ、蝦夷地をすべて幕府の直轄地とした。
  • 1811年、ゴロウニン事件。レザノフの件の報復措置として、調査にやってきていた海軍士官のゴロウニンという人物を捕虜にした。
  • 1812年、ロシア船が日本船を拿捕。高田屋嘉兵衛という人物が捕らえらる。嘉兵衛は、ゴロウニンが無事であるということをロシア側に伝え、釈放へ。
  • 1808年、イギリス軍艦・フェートン号長崎に入港。食料などを強奪。
  • 1825年、異国船打払令。オランダ、中国以外の外国船を撃退することを命じた。
  • 1837年、通商を求めて浦賀に来航したアメリカ商船モリソン号を砲撃。
  • このモリソン号には日本人漂流民の音吉が乗っていたが、異国船打払令により打ち払われてしまい、帰国できなかった。
  • キリスト教が広まるのをおそれた。金銀の国外流出を懸念。幕藩体制の維持へのこだわり
  • 1833年天保の大飢饉。洪水・冷害など。農村や都市には困窮した人々があふれ、多くの餓死者。
  • そんななか、大坂町奉行所は対策を取らずに、江戸に米を送っていた。⇒元・大坂町奉行所の役人で陽明学者の大塩平八郎が反乱を起こす。大塩の乱。
  • 老中・水野忠邦天保の改革に着手。12代将軍・家慶のころ。
  • 厳しい倹約令と取り締まり。
  • アヘン戦争:清がイギリスに大敗。イギリスの近代的な武器と兵力。イギリスは海禁政策をとっていた清に対し5港を開かせ、香港を奪取。
  • 水野は、異国船打払令を撤回し、薪水給与令(外国船に燃料と水、食料を支給するという法)を復活させた。
  • 1843年、上知令。江戸・大坂周辺の大名や旗本の領地を強制的に移転(替地)させ、その土地を幕府の直轄地にしようとした。反発を受け、撤回。
  • 水野は2年ほどで失脚、天保の改革は失敗。
  • 貨幣経済が進む中、現金支出が増え、借金の返済に苦しむ藩が増えた。軍備の拡張も負担。外国船の来航と、アヘン戦争での中国・清の敗北を受け、外国船に対抗するための軍事力が必要だった。
  • 藩政改革
  • 佐賀藩、藩主の鍋島直正粗衣粗食令。商人と交渉して膨大な借金を帳消しに。陶磁器の専売を行い、オランダなどに輸出。有田焼はヨーロッパで大人気に。鉄製の大砲の製造。火術方という部署を作り、オランダの書物を調べた知識をもとに、良質の鉄を溶解・精錬するための炉を築造。日本初の反射炉
  • 反射炉:熱源と原料を分離した位置に置き、熱の反射を利用して大量の鉄を溶かし、精錬する炉。
  • 薩摩藩、家老・調所広郷。膨大な借金を250年の無利子返済にすることを、債権者の商人たちに一方通告。特産品の黒砂糖の専売制を強め、琉球を通じた密貿易でも利益をあげる。藩主・島津斉彬の時代には、蓄えた財源をもとに集成館という藩営工場を設立。オランダの工作機械を導入。反射炉も建設。
  • 長州藩村田清風。多額の返済を37年据え置きにに。紙や蝋の専売。下関の関門海峡越荷方という藩営の機関を置く。ここを通る廻船の積み荷を預かり、大坂の相場が高値のときに売るなどして利益を得る。その資金をもとに軍備を強化。
  • 改革に成功し、力をつけた藩は雄藩と呼ばれた。→幕末の政局に強い発言権を持つようになった。
  • 漂流民の中浜万次郎(ジョン・万次郎)アメリカの船に救助され、アメリカで船乗りになった。10年後、万次郎はペリー来航の少し前に帰国。アメリカで暮らし、英語が話せる万次郎は、幕府や諸藩から重宝された。英会話辞典を執筆。英語を教え、通訳としても活躍した。
  • 江戸時代の主な漂流民。長右衛門、伝兵衛、孫太郎、大黒屋光太夫、野村長平、津太夫、平原善松、久蔵、小栗重吉、音吉、中浜万次郎、浜田彦蔵、勇之助。

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3問正解。

 

 

 

火2:世界史

第24回  ロシア帝国

中世ロシア世界で勢力を拡大したモスクワ大公国を引き継いで、ロシアでは17世紀初めにロマノフ朝が成立した。ロマノフ朝の下で専制君主制が強化され、18世紀にはロシア帝国が成立した。ロシア帝国は世界最大の領土を有する大帝国へと成長したが、その体制は常に安定していたわけではなかった。この大帝国はどのように形成され、発展していったのだろうか。ヨーロッパや日本とのかかわりも視野に入れながら、ロシア帝国の時代を見てみよう。

 

  • ロシアの起源・・・9世紀ノルマン人( ヴァイキングの勢力の一派)が東ヨーロッパに進出し、国を建設した。
  • 中世のころはいくつかの国が勢力を競っていた。その中の一つ、モスクワ大公国が勢力を拡げ、16世紀には広大な地域を支配するようになった。
  • ピョートル1世:1682年、モスクワ大公国君主(ツァーリ)になった。ロシアの近代化。自らヨーロッパ諸国を訪問し、軍事や科学の専門技術を学ぶ。帰国後、次々と西欧化政策を進める。教育制度や官僚制なども西欧風に改める。
  • ひげ税。ロシア貴族特有の長いひげを禁止。
  • 海外進出のために、バルト海に面した場所に港を築こうとした。スウェーデン北方戦争(1700年〜1721年)。その過程でバルト海沿岸の土地を獲得。この沼地だったこの土地に、港と都市を完成させた。都をモスクワから移し、サンクトペテルブルク命名
  • 1721年にピョートル1世は皇帝の地位につく。国を「帝国」と宣言。ロシア帝国の誕生。ロマノフ朝
  • シベリアへの進出も進めた。その領土はオホーツク海までに及ぶように。
  • ペテルゴフ宮殿。ロシアの技術力を示すために建造。高度な技術を駆使した噴水。噴水の水は、ポンプを使わず、高低差を利用して水圧で噴き上げている。動力を一切使わない高度な技術。
  • 8代皇帝・エカチェリーナ2世プロイセンオーストリアと共にポーランドを分割・領有(~1917年まで)。
  • さらにカムチャツカ半島やアラスカへと支配領域を拡大。
  • アダム・ラックスマン。外国との通商に熱心だったエカチェリーナ2世によって、日本に派遣された。
  • ロシア帝国の人口は約8割が農民、そのほぼ半数を占めたのが農奴農奴とは領主の土地で暮らし、権利を制限された農民のこと。人格的にも領主の支配下に置かれた農奴は、領主の私有財産という存在だった。
  • ロシアは専制政治農奴制を続ける古い体制だった。産業革命を起こしたイギリスや、自由と平等の理念を掲げるフランスとの違い。
  • 1825年、デカブリストの乱。フランスとの戦争で西ヨーロッパの政治や社会に触れたロシアの青年貴族たちが、皇帝による専制政治農奴制の廃止を求めて反乱を起こした。
  • オスマン帝国の衰退に乗じて領土拡大を目指し、南下政策を推進。
  • 1853年、クリミア戦争(1853年〜1856年)。黒海北岸クリミア半島で、オスマン帝国と開戦。オスマン帝国を支援するイギリスとフランスが参戦。近代化したイギリスとフランスの軍隊を前に、ロシア帝国の軍隊は敗退する。
  • 1861年、12代皇帝・アレクサンドル2世。近代化を徹底。
  • 農奴解放令農奴は人格的に解放されたが、土地は領主から買い戻さなければならなかった。
  • 皇帝の専制支配体制を維持したまま、経済と社会の近代化を図ろうとしたが、不十分なものに終わる。
  • 工業化は進んだ。解放された農奴たちは、やがて工業化が進んだ都市で労働者となっていく。
  • 専制政治を支える貴族と、大多数の農民や工場労働者との格差は埋まらないまま。近代化を目指す改革の徹底を求める人々(反体制)の間で不満が高まり、急進化。⇒専制政治打倒を目指す運動やテロ。
  • 1881年、アレクサンドル2世暗殺。革命運動が活発化。

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3問正解。

 

 

火3:地理

第24回 現代世界の系統地理的考察 【生活文化、民族・宗教】編 世界の違いと共通に目を向けてみよう ⑴ ~衣食住、民族、宗教~

世界の人びとの生活は多様である。食文化、言語、宗教のどれをとっても世界にはさまざまな違いがある。地域による多様性を知ることは地理の学習にとって重要な一歩となる。そのときに大切なのは「どの文化がすぐれているか」という優劣を基準にしないことである。どのような違いがあるのかを学ぶことによって、世界の文化の豊かさを学ぼう。

 

  • 今日の先生は正しいことをおっしゃっているはずなんだけど、どうにも説教くさく感じた。
  • 食文化の違いは、基本的には自然条件による。宗教も食文化に大きな影響を与えている。
  • 世界には多くの言語があるが、大きくいくつかのグループに分類することができる。
  • インド・ヨーロッパ語族
    シナ・チベット諸語
    インディアン・インディオ諸語
    アフリカ・アジア語族
    ウラル語族
    アルタイ諸語
    オーストロネシア語族
    ニジェール・子ルドファン諸語
  • 支配力が強かったイギリスや、現在影響力の強いアメリカなどを相手に貿易を行ううえで英語が必要・・・英語が世界の共通語に。
  • 神が唯一だと考える一神教ユダヤ教キリスト教イスラームの順に誕生。
  • 信仰の対象となる神が複数いる多神教
  • キリスト教では、食べものへの規制は比較的緩やかだが、地域によっては食習慣が残っている。→ローマでは金曜日が「魚の日」。金曜日がキリストが十字架にかけられた日だったという言い伝えに由来している。動物の肉を食べるのを避け、魚を食べる。
  • 各国のギョーザに似た食べ物。・・ネパールのモモ/モンゴルのボーズ/キルギスのマントゥ/インドのサモサ/ロシアのペリメニ/イタリアのラビオリ(パスタ)
  • トルコの水ギョーザ・マントゥはヨーグルトソース付き。イスラーム
  • 精進料理。仏教。
  • インドは国民のおよそ8割がヒンドゥー教徒。牛には神が宿るとされ、殺す事も食べる事も避けられる。
  • イスラーム断食は、毎年イスラームで決められた1カ月間(ラマダーン)日の出から日没まで行われる。

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3問正解。

 

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