同じ名前の武将がいると混乱するね ~日本史 200218火曜 高校講座テレビ
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火1:日本史
第19回 第3章 近世社会の形成と庶民文化の展開 江戸幕府と大名・朝廷
1603年、徳川家康が朝廷から征夷大将軍に任命され、江戸幕府が成立した。豊臣政権から江戸幕府がどのようにして成立したのか、江戸幕府が行った大名統制、また朝廷や寺社の統制はどのようなものだったかを理解する。
- 豊臣の五大老・五奉行。
- 五大老:徳川家康・前田利家・宇喜多秀家・上杉景勝・毛利輝元
- 五奉行:石田三成・増田長盛・名束正家・浅野長政・前田玄以
- 1600年、家康は会津の上杉景勝の謀反を口実として諸大名を率いて関東へ。石田三成は家康打倒を目指して挙兵。家康は、軍を引き返し岐阜へ。
- →両陣営は美濃国・関ヶ原で決戦、「関ヶ原の戦い」。
- 家康の東軍には福島正則・黒田長政・細川忠興らが、三成の西軍には毛利輝元・宇喜多秀家・小早川秀秋ら西国諸大名。
- (長政って3人いるの…?浅井、浅野、黒田)
- 東軍・西軍ともほぼ互角の勢力であったが、小早川秀秋の寝返りによって西軍は総崩れとなり、勝敗はわずか一日で決した。(秀秋の肖像画ってナヨナヨと描かれてますよね)
- 西軍に属した多くの大名が領地を没収される改易や、領地を削減される減封などの厳しい処分を受けた。
- 関ヶ原の戦いの後も権威を保ち続けた豊臣秀頼に脅威を感じた徳川家康は、方広寺の鐘銘事件を口実に豊臣方を挙兵させ、開戦へと持ち込んだ。
- 1614年「大坂冬の陣」、翌1615年「大坂夏の陣」の2度の戦いによって大坂城は陥落、秀頼・淀君親子は自害し、豊臣氏滅亡。
- 1615年、江戸幕府は一国一城令、武家諸法度を出して大名の居城以外の城の破壊を命じるとともに城の新築や無断修理を禁じ、婚姻も幕府の許可制とした。
- 幕府は全国の大名を親藩、譜代、外様に分類し、幕府の重職である老中や若年寄、寺社奉行などは譜代大名から選ばれた
- 将軍のもとで政務を取りまとめたのが老中
- 若年寄は老中を補佐するとともに、旗本・御家人に関する政務を扱った
- 寺社奉行は寺院・神社の統制・支配などを、町奉行は江戸の市政を、勘定奉行は幕府財政など
- 江戸時代の大名とは、1万石以上の領知をもつ将軍直属の武家のこと。領地から年貢を徴収する権利を知行といい、大名が将軍から与えられた知行を領知という。
- 1635年、武家諸法度に参勤交代の制度が加えられた。この制度と御手伝普請は交通網の整備・土木技術の革新をもたらしたが、大名財政は圧迫され、財政難の大きな要因となった
- 将軍直属の組織として京都所司代を置き、1615年には禁中並公家諸法度を定め、天皇の権限は年号や暦の制定など形式的なことだけにとどめられ、政治的にはほぼ無力の存在となった。
- 寺院法度を出して寺院の本末制度を確立した。また神社にも諸社禰宜神主法度を出して社殿の維持や装束の売買禁止を定めるなど、統制を強化していった
- 大奥の目的は「世継ぎ」を継続的に生み出すことであったが、それでも男子が得られない場合は御三家など、徳川家の親戚から世継ぎを出すこともあった。春日局。
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3問正解。
火2:世界史
第19回 ムガル帝国からインド帝国へ
16世紀前半、インドを支配したムガル帝国は、軍事財政制度を柱に統治と支配を広げていった。しかし、18世紀初めのアウラングゼーブ帝の死後、イギリス東インド会社が次第に支配を拡大した。そして、19世紀中頃のインド大反乱を経て、ついにインドはイギリスによって直接支配されるインド帝国となった。今回は、このムガル帝国の統治と崩壊、イギリス支配の拡大とインド帝国の成立過程を学ぶとともに、イギリスの植民地支配の世界的な拡大によって緊密化するグローバル・エコノミーの中で、インドから世界各地に出て行ったインド人移民の動きの特徴を見る。
- 16世紀から19世紀、アジアでは4つの帝国が並んで繁栄していた。
- トルコではオスマン帝国、イランではサファヴィー朝、中国では清、インドでは、ムガル帝国。
- 1526年、北インドを拠点にイスラーム王朝「ムガル帝国」が成立。
- 初代皇帝としてムガル帝国の礎を築いたのがバーブル。チンギス・ハンの子孫といわれ、中央アジアから北インドに進出した。
- 第3代皇帝アクバル。
- インド北部の都市アグラ近郊に遺跡がある。世界遺産「ファテープル・シークリー」。16世紀、アクバルが築いた都のあと。
- マンサブダール制:官位・軍事。“マンサブ” とは、官位のこと。帝国の役人に官位を与え、その階級に応じて維持すべき騎兵の数などを定めた
- ジャーギール制:財政面。騎兵を維持するのに必要な資金を与える。役人たちに、官位に応じて土地を割り当て、税金を取り立てる権利を与える。役人は、担当統治地域からの税収入を給与として得た
- アクバルは、北インド一帯に領土を拡大。
- アクバルは支配した人々に対し融和的な政治を行った。異教徒に強制していた「ジズヤ」という税を廃止。
- タージ・マハルは、ムガル帝国を代表する建築物。第5代皇帝シャー・ジャハーンが、若くしてこの世を去った妻のために建てた霊廟。ムガル帝国の最盛期。
- 第6代皇帝アウラングゼーブ
- インドのほぼ全域を領有したことで、新たに徴税権を与えられる土地がなくなる。新たな税収入を確保できなくなり、軍事力も頭打ち。
- アウラングゼーブは熱心なムスリムだったため、アクバルが廃止したジズヤを復活するなど、「万民との平和」という理念を放棄してしまう。
- ⇒ヒンドゥー勢力の反乱が度々起こるようになり、帝国の求心力は弱まった
- 18世紀、地方の独立政権同士の争いに乗じてインドに進出したのがイギリス。とくに1600年に設立された「イギリス東インド会社」。
- 1857年には、イギリスに対する反感が頂点に達し、大きな反乱が。
- 反乱の象徴として、第17代皇帝バハードゥル・シャー2世が担ぎ出された。→反乱が鎮圧されるとともに、その地位を追われる。
- ⇒300年以上続いたムガル帝国終焉。
- イギリスは東インド会社を解散して、直接統治に乗り出す。
- 1877年、ヴィクトリア女王がインド皇帝を兼任。「イギリス領インド帝国」が成立。インドはイギリスの植民地に。
- 近世以降の世界史を学ぶとイギリスが嫌いになる、と聞いたことあるのですが、その片鱗が伺えるような回でしたね。
- 「マハラジャ」というイメージはムガル帝国末期くらいのものを指すのかなぁ
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3問正解。
火3:地理
第19回 現代世界の系統地理的考察 【資源と産業】編 世界を結ぶ交通・通信を見てみよう
近代以降、鉄道や道路など交通の発達によって時間距離は縮小を続けてきた。最近は航空路が各地に張り巡らされ、短時間での地球規模の移動が実現されている。一方、通信技術の発達と通信網の整備によって、情報の伝達における時間距離はほとんど消滅している。その反面、情報量には地域間で差があり、地域格差を拡大させることにつながっている。
- 東京-大阪間は直線距離で約400km。この距離の単位で表されたものを「絶対距離」という。「時間距離」とは、2つの地点間の距離について移動にかかる時間で表した距離のこと。
- 交通手段の開発・改善により、時間距離の短縮が進んでいる。
- 航空交通の拠点となる空港では、放射状の航空路が周囲の地域に広がっている。航空路をスポーク、中心の空港は車輪の軸受け、“ハブ”に見立てて、拠点空港を「ハブ空港」と呼ぶ
- ハブ空港・・・アメリカ合衆国のニューヨークやシカゴ、フランスのパリやオランダのアムステルダム、タイのバンコクなどが世界のハブ空港として知られている。
- ドバイ空港:地理的な位置がメリットになっており、中継地点としてオランダに代わろうとしている。
- LCCとは、Low Cost Carrierの略で、「格安航空会社」のこと。1980年代にアメリカで登場し、現在では全世界の空で就航している。
- ⇒最大の特徴は低価格。料金は大手航空会社の半額から3分の1以下。早朝便や深夜便によって空港の使用料を安く抑える。預け荷物は、LCCではほとんどが有料。飛行機まで乗客を運ぶバスもない。機内食やドリンクなどの機内サービスも有料。空港の駐機時間を短くすることで、空港の使用料を下げ、1日の運航回数を増やしている。⇒さまざまなコストを削減することで1人あたりの料金を下げている
- 通信技術の発達は、情報の移動をきわめて容易にしている。19 世紀に電信が発達して以来、海底ケーブルによる大陸間の電信や電話が可能になり、20 世紀半ば以降は人工衛星を経由したテレビの衛星放送が実現するなど、通信技術の発達に伴って情報の移動は大きく推進されている。
- しかし、地域によって情報格差 デジタルデバイドの問題。
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3問正解。
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