国立天文台三鷹キャンパスの第一赤道儀室は60年余りにわたり、太陽の黒点を観測していた ~10minボックス理科野外観察 200408木曜深夜 アクティブ10
もしもこの記事が気に入って頂けましたなら、はてなブックマークやツイッター等でシェアをお願い致します。日々の活力になります!
10min.ボックス 理科野外観察的分野
第9回 太陽をみる~太陽のすがた
太陽は光が強すぎて望遠鏡で直接のぞくことはできない。投影板やフィルターを使うなどの工夫をして太陽を観察する。また、宇宙で観察した太陽の姿を紹介する。
- 天体望遠鏡を使っての太陽の観察。投影板に映して間接的に観察。
- 天体望遠鏡を取り付ける台には赤道儀がついている。追尾装置付き。赤道儀の極軸を北極星の方向に合わせておくと、動く太陽を簡単に追うことができる。昼間は北極星が見えないので、方位磁針と分度器で方向を合わせる。赤道儀の極軸をその土地の緯度と同じ角度に傾ける
- 投影された太陽の像には黒点が見られる。
- 国立天文台三鷹キャンパスに残る最も古い建物「第一赤道儀室」には、1927年に作られた20センチ屈折望遠鏡がある。1938年から1999年まで60年余りにわたって、スケッチによる太陽黒点の観測や太陽の写真撮影が行われてきた。
- ⇒第一赤道義室は、大戦中も空襲の被害をまぬかれたそうです。天文観測データはつぶしてしまなわないように…と対象から外されたのかもしれませんね
- 黒点の数はおよそ11年周期で増えたり減ったりしていている。
- 2006年9月。新しい観測衛星「ひので」が打ち上げられた。目に見える光で観測する望遠鏡をのせた衛星は、世界で二例目。X線までをカバーする観測装置もある
- 大気のない宇宙から観測、鮮明な画像を得ることができる。
- 黒点の上空では時々爆発が起こっている。黒点のあるところは太陽の活動が活発。
- Gバンド。カルシウムH線。
【スポンサーリンク】
ロンリのちから
第19回 ロンリのちから (19)ずれた反論
人から何かをとがめられた時、「あなただって~してるじゃないですか」と関係のない話を持ち出して反論することはありませんか。論点の「ずれた反論」について学びます。
- あくまで印象の話だが、男性よりも女性のほうが「ずれた反論」をしがちな気がしている。
10min.ボックス 日本史
第5回 武士の台頭と鎌倉幕府
- 平安時代の中ごろ、武士が誕生。貴族に支配されていた武士は、徐々に力をつけ、政治的発言力を強めていった。
- 律令制が崩れていくなか、9世紀の末から10世紀にかけて武士が台頭。
- 地方に住み、広い土地を経営する豪族のなかには、自分の土地を守るために武装する者が現れた。
- 都では役人たちが、貴族の身のまわりの警護や都の警備にあたる武士となっていった。
- 武士たちは戦いに備えて家来を集め、次第に強力な武力を持つように
- 天皇の子孫である源氏と平氏が率いる勢力。
- 1159年、平治の乱。平清盛。武士のトップに立った清盛は、天皇や貴族の信頼を得て出世。貴族の最高の地位・太政大臣にまで登りつめる。
- 『平家物語』によると、当時66あった国のおよそ半分を平氏一門が支配した。
- 清盛の娘が高倉天皇の皇子・安徳天皇の母となる。
- 平氏の政治を批判する勢力の増加。⇒源頼朝。東国の武士たちの支持を得た頼朝は、鎌倉を拠点にして急速に大きな勢力を持つようになった。
- 1181年。平清盛病死。その4年後、平氏滅亡。
- 源頼朝、鎌倉幕府。1192年に征夷大将軍に任ぜられる
- 侍所:武士の取り締まりや軍事・警察などを担当。
- 公文所:のちの政所。幕府の財政や政務を担当。
- 問注所:裁判を担当。
- 地方には国ごとに、軍事や警察の役割を果たす守護、土地の管理や年貢の取り立てなどを行う地頭が置かれた。
- 将軍に仕える武士を御家人という。将軍と御家人は、御恩と奉公という関係で結ばれていた。
- 御恩・・・将軍が御家人に、先祖代々持っていた土地の所有を保証したり、新たに土地などを与えること。
- 奉公・・・御家人が御恩に報いようと、将軍のために戦ったり、朝廷や幕府の警備をすること。
- 頼朝の妻、北条政子。「頼朝公による御恩は山よりも高く、海よりも深い。」。
- 元寇。九州博多。てつはう。幕府の執権となっていた北条時宗は、元の2度目の攻撃に備えて守りを固めた。その一つが博多湾に面して造られた石の壁、石塁。
- 元の上陸を阻んだが、新たな土地を獲得したわけではなかったため、元と戦った御家人に御恩となる土地を十分に与えることができなかった。御家人は幕府に不満を持つようになり、幕府の信頼は低下。
- 1333年、北条氏は滅び、鎌倉幕府倒れる。