母Mと息子Sの学習キロク

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慶長金銀、元禄金銀、正徳金銀。 ~日本史 200331火曜 高校講座テレビ

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火1:日本史

第21回 第3章 近世社会の形成と庶民文化の展開 幕府政治の進展と元禄文化

4代将軍の徳川家綱は、末期養子の禁を緩めて大名の改易を減らし、殉死を禁止した。この政策の変化は、武断政治から文治政治への転換と考えられている。家綱の弟の徳川綱吉は、5代将軍になると、儒学を奨励したほか、生類憐みの令を出した。これらの政策が、何を目的としたものかを理解する。

 

  • 3代家光までの頃。改易によって、大名の家臣たちなど数十万人の武士たちが牢人になった。牢人たちによるけんかや人斬りが横行。派手な服装をして暴れまわる「かぶき者」の出現。社会が殺伐とした。
  • 1651年、慶安の変。幼い将軍(4代家綱)への代替わり時に、幕府の転覆を狙ったのが由井正雪。幕府に不満を持つ牢人たちを率いて江戸城を焼き討ちする計画を立てた。→老中・松平信綱が鎮圧。正雪は自害。
  • ⇒幕府は牢人問題の解決に乗り出す。
  • 50歳以下の大名には死ぬ間際に養子を迎えることを許した。家の存続。
  • 殉死の禁止。
  • 武力を背景にした強圧的な武断政治を見直し、文治政治への転換。
  • 5代将軍・綱吉湯島聖堂儒学を学べる場として建設。林信篤が管理。・・・主人に対する忠義や、思いやりの心を持つなど、綱吉は儒教の教えを政治の基盤とした
  • 江戸城では大名を相手に綱吉自ら儒学を講義した。
  • 大名や代官の取り締まり。
  • 生類憐みの令。東京・中野に犬屋敷を建設。
  • 勘定吟味役(のちの勘定奉行)の荻原重秀は、慶長金銀を改鋳して品質の悪い元禄金銀を発行し、幕府の歳入を増やそうとした。
  • 正徳の治6代将軍・家宣と、7代将軍・家継の時代。
  • 正徳の治を中心的に推し進めた新井白石
  • 正徳金銀を発行。綱吉の時代の悪鋳を元に戻す。
  • 海舶互市新例。金や銀が外国に流出しないようにした。
  • 朝鮮通信使の待遇の簡素化。
  • 新しい親王家である閑院宮を創立。
  • 元禄文化:上方(大坂や京都)の町人たちによる文化。
  • 井原西鶴松尾芭蕉近松門左衛門
  • 井原西鶴・・・浮世草子と呼ばれる本格的な小説。「好色一代男」「日本永代蔵」
  • 松尾芭蕉・・・蕉風俳諧
  • 近松門左衛門・・・人形浄瑠璃。義理と人情の板挟み。「曽根崎心中
  • 歌舞伎。上方に坂田藤十郎芳沢あやめ。江戸に市川團十郎ら。
  • 貝原益軒稲生若水・・・本草
  • 宮崎安貞・・・農作物の新しい栽培技術を紹介。
  • 渋川春海・・・天文学を研究。従来の暦を観測によって修正し、貞享暦を作った。

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3問正解。

 

 

 

火2:世界史

第21回  アフリカへのヨーロッパ人の進出

15世紀半ばに始まった大航海時代によって、世界の各地はヨーロッパ中心の航路ネットワークに結びつけられることになる。ヨーロッパの南に位置するアフリカ大陸もその例外ではなかった。17世紀以降に本格化した「大西洋奴隷貿易」や19世紀末から始まった「植民地支配」を通して、自国の経済的利益を追求するヨーロッパ中心の経済システムが、アフリカの人々にどのような影響を与えていったのかを学ぶ。

 

  • 7 世紀以降、西アフリカの内陸地域や東アフリカの海岸地域はアラブ世界との交易で繁栄した。
  • 商業都市と地中海を結ぶ交易ルートの発達。このルートを支配する西アフリカの内陸にはガーナマリソンガイといった大王国が次々と登場。
  • 金や塩などを運ムスリム商人が運んできた。西アフリカにはイスラームが浸透。
  • ムスリム商人は、アフリカ東部のインド洋沿岸で、ダウ船という船でインドとの交易を行った。
  • アジア産の香辛料をアフリカ・中東を経由してヨーロッパに売り、大きな利益を上げた。
  • 東アフリカの海岸地域では現地の文化とアラブの文化が融合してスワヒリ文化が生まれた。
  • 15 世紀半ば以降、ヨーロッパ人がアフリカの海岸地域に進出したことでアフリカの状況は一変した。
  • 16世紀以降、ヨーロッパ人がインド航路を開拓。香辛料を直接アジアと取り引きできるようになったため、インド洋沿岸の港はさびれていった。
  • 大西洋航路の開拓によって、ヨーロッパ人はアメリカ大陸の植民に乗り出す。、ラテンアメリカの先住民を奴隷にした。先住民たちが激減。
  • 先住民に代わる人的資源を求めて、ヨーロッパ人はアフリカに進出。大西洋沿岸の港を拠点として、奴隷貿易を開始。
  • 新大陸のプランテーションでの労働にアフリカの人々が奴隷として用いられることに。
  • 三角貿易:ヨーロッパから工業製品や銃がアフリカへ。銃を手に入れた現地集団が奴隷狩りを行う。そして、アフリカから黒人奴隷がアメリカやカリブ海地域に送られる。奴隷たちは大農園で働かされる。砂糖・綿花・コーヒーなどが低価格で取り引きされる。
  • イギリス産業革命以降、工業中心の経済体制へ移行。⇒新大陸でのプランテーション経済の重要性は低下。プランテーションで働く奴隷の需要も低下。
  • ⇒奴隷に代わり、ヨーロッパ工業国は工場での生産に用いる天然資源をアフリカに求めるようになる。
  • 1833年、イギリスで奴隷制度廃止法が成立。
  • 19 世紀初頭以降、ヨーロッパの探検家がアフリカの内陸部を探検。
  • 現地の人々へのキリスト教の布教も試みる
  • 19 世紀後半にはアブラヤシや天然ゴムなどの植物資源に加えて、金やダイヤモンドの鉱山も発見された。ヨーロッパの各国によるアフリカの資源獲得競争。
  • リヴィングストン。ヴィクトリアの滝
  • 白人優位思想:アフリカの地は未開で遅れていて、白人の世界こそが優れているという考え方。
  • 帝国主義:自国で生産する製品の原料となる資源の確保と、製品を売る市場の拡大を目的に、武力を用いて他国を屈服させ植民地にすること。
  • 17世紀以降、南アフリカにはオランダ人が移住し、すでに植民地を作っていた。移住したオランダ系の子孫は「ボーアとも呼ばれていた。
  • ボーア戦争南アフリカ戦争:1899〜1902年):イギリスVS.ボーア。イギリス勝利。
  • 1910年、南アフリカ連邦としてこの地をイギリスが支配。ダイヤモンドの権益独占。
  • 1884 年、ドイツの首相ビスマルクベルリン西アフリカ会議(ベルリン会議)を開催。アフリカを植民地支配する際の約束事が勝手に決定。「アフリカ分割」。
  • 20 世紀初頭には、エチオピアリベリアを除くアフリカ大陸のほぼ全ての地域が
    ヨーロッパの植民地支配下に置かれることになった。
  • 同化政策
  • モノカルチャー経済

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3問正解。

 

 

火3:地理

第21回 現代世界の系統地理的考察 【人口、村落・都市】編 世界の人口問題に目を向けてみよう

世界の人口問題を考えるときに、国を単位として人口が増えたり、減ったりする現象のほか、世界の中で人がどのように動いているのかにも注目することが必要です。今回は、前半では、日本にも働く外国人の人たちが増えている現状をもとに働くために国境を越える人たちについて、後半では、戦争などによってやむを得ず国境を越える難民の問題について考えます。

 

  • 世界の人口は、毎年約7000万人のペースで増加している。
  • 先進国ではライフスタイルが多様化し、少子高齢化が進んでいる。
  • 日本は4人に1人が65歳以上という超高齢社会。労働者人口は約6720万人。外国人労働者は約130万人。
  • 技能実習日本で学んだことを自分の国に帰って役立ててもらうという趣旨。あくまでも勉強しに来ていることになっているため、実際にはかなり安い賃金で技能実習生は働いている。
  • 外国人労働者:一定期間、働くために来る人のこと。
  • 移民家族も一緒に外国に長いこと定住していく人。さまざまな目的があって自分の意志で国境を越えてほかの国に移住する人。
  • 日本では外国人労働者だけを受け入れ、移民を受け入れる政策をとらない方針。
  • 難民:戦争や迫害を逃れて、やむをえず母国を離れる人たちのこと。国際的な保護が必要で、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が中心となって救援活動をしている。
  • 2018 年現在、世界には6500万人を超える難民がいる。 

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3問正解。

 

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