母Mと息子Sの学習キロク

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「鉄は産業のコメ」 ~地理 200204火曜 高校講座テレビ

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火1:日本史

第17回 第3章 近世社会の形成と庶民文化の展開 鉄砲の伝来

大航海時代が始まり、ヨーロッパ諸国がアジアに進出してくると、日本もヨーロッパ諸国との関係が始まる。最初は、ポルトガル人のもたらした鉄砲で、南蛮貿易が始まり、キリスト教が伝来する。こうしたヨーロッパ人とヨーロッパ文化との接触が、日本に何をもたらしたかを理解する。 

 

  • 1543年、ポルトガル人を乗せた中国の船が種子島に漂着した。このときポルトガル人が持っていた鉄砲が日本に伝来した。
  • このポルトガル人が乗っていたのは「倭寇」の船で、この時期の「倭寇」は中国人が主体であった。
  • ポルトガル人は、種子島時尭に鉄砲を発射して見せ、時尭は鉄砲二挺を購入し、家臣にその使用法と製造法を学ばせた。
  • 鉄砲伝来以降、ポルトガル船やスペイン船、いわゆる南蛮船が九州の港に来航するようになり、日本と貿易を行うようになった。
  • 紅毛人とはのちに来航するようになるイギリス人やオランダ人を指すことが多い
  • 各地の戦国大名は、鉄砲という新しい武器を手に入れようとした。これを受けて、商人と鍛冶職人らが鉄砲の部品の大きさや形などの規格を統一。分業で製造して、最終的に組み立てるという方式を考案した。→鉄砲の大量生産へ。
  • ↑ 大河『麒麟がくる』で青年明智光秀が鉄砲を調達しに行っていたのはちょうどこういう時期にあたるのかな
  • 鉄砲の製造地・・・堺や近江の国友、紀伊の根来など
  • 南蛮屏風。
  • 南蛮貿易:日本は中国の陶磁器や生糸、絹織物などを輸入した。日本から輸出されたのは銀。
  • 1549年、フランシスコ・ザビエルによって日本にキリスト教が伝えられた。戦国大名の中には大友宗麟のようにキリスト教に改宗する者もあらわれた。
  • 宣教師たちは「南蛮寺」と呼ばれた教会のほか、病院や学校(セミナリオ・コレジオ)なども建設した。福祉・慈善事業なども一緒に行われたことで、キリスト教は日本に急速に広まっていった。
  • 大友宗麟(義鎮)、大村純忠有馬晴信キリシタン大名たちはアレッサンドロ・ヴァリニャーノの勧めにより「天正遣欧使節」を派遣した。使節たちは1585年、念願のローマ教皇グレゴリウス13世との謁見を果たした。
  • 織田信長は、1560年桶狭間の戦い今川義元を破った
  • 1568年、信長は足利義昭を奉じて京都に上り、義昭を室町幕府の15代将軍に就任させた。その見返りに信長は鉄砲の生産地である堺の権利を手に入れた。→その後、信長は義昭を都から追放。
  • →1573年、室町幕府は滅亡
  • 1575年、長篠の戦で信長は入手した大量の鉄砲をたくみに使った集団戦法で武田軍を破った。
  • 楽市楽座。信長は従来の寺社や座の特権を廃止し、城下での自由な売買取引を認めて経済を発展させようとした。

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3問正解。

 

 

 

火2:世界史

第17回  明代の中国 ~東西文化交流~

モンゴル帝国がユーラシアをめぐる人と物の行き来を盛んにしたあとを受けて、中国で成立した明朝は、朝貢と呼ばれる仕組みで他の国々との関係をもった。中国皇帝と諸国の君主とのあいだの上下関係に基づいて、朝貢貿易が行われた。15世紀初頭の永楽帝は、鄭和に命じて東南アジアやインド洋沿岸の諸国へ大艦隊を率いて赴かせ、朝貢することを促した。日本とのあいだでも足利義満が貿易を行った。17世紀には西洋の宣教師が中国に来訪し、西洋の科学の知識を伝え、中国の文化をヨーロッパに紹介した。 

 

  • 元朝交鈔とよばれる紙幣を流通させるために、宋代に広く使われていた銅銭の使用を一時、禁止した。こうした背景のもと、使われなくなった大量の銅銭が、日本に向かう貿易船に積まれ、日本にもたらされた。日本では 14 世紀なかば以降に、貨幣経済が行き渡り、銅銭が経済を支えるために必要となる。
  • 勘合貿易によって日本には明の永楽通宝がもたらされた
  • 14世紀中ごろ、モンゴル帝国の一つ “元” は経済が混乱し、困窮していた農民たちが各地で反乱を起こした。
  • 江南で起こった「紅巾の乱(1351年〜66年)」は、農民たちによる大規模な反乱へと発展 
  • この乱の指導者の一人が、漢民族朱元璋
  • 朱元璋は南京を都として “明” を建て、初代皇帝 “洪武帝” となった。元をモンゴル高原へと追いやった
  • 里甲制:110戸の農家で一まとまりの集団、一里として整理した。
  • 民間の海上交通や交易を禁止し、国が管理する「海禁政策」をとった。外国との交易は朝貢貿易のみに限定し、国が利益を独占した
  • 15世紀、第3代皇帝となった永楽帝海禁政策を緩めた
  • モンゴルなど北方の騎馬民族の侵入に備えて、都を南京から現在の北京に移し、荘厳な皇帝の宮殿「紫禁城」を建設。
  • 万里の長城の整備。繋げた。
  • 1405年、ムスリム鄭和永楽帝の命を受け航海へ。明を中心とした朝貢貿易を世界に広げ、国の威厳を示すため。
  • 16世紀末、マテオ・リッチ(中国名 “利瑪竇” )らイエズス会の宣教師たちが、キリスト教を広めるために中国へ。リッチは徐光啓などの中国の知識人とも交流を深め、ユークリッド幾何学を漢文に翻訳したり、坤輿万国全図とよばれる世界地図の作成にかかわった。
  • 日本から大量の銀が入ってきたことによって、都市が繁栄するなど、明(中国)の経済そのものが大きく変わって 日本は生糸を明から輸入した。

 

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3問正解。

 

 

火3:地理

第17回 現代世界の系統地理的考察 【資源と産業】編 世界の工業を見てみよう ⑵ ~現代世界の現状と課題~

これまで学習してきたとおり、工業の進展は経済・社会に大きく寄与してきた。しかしながら、各地で行われている工業は歴史とともに大きく変化している。特に先進国では、産業の中心が工業から工業以外の産業に移り変わっており、日本も同様である。現在の世界の工業の様子や課題を学び、これからの工業について考えてみよう。 

 

  • 1901年、福岡県八幡村(現在の北九州市)に官営の八幡製鉄所が操業を開始した

  • 鉄は主に鉄鉱石と石炭から作られるが、近くに石炭の取れる筑豊炭田があったため、八幡に建てられた。

  • 鉄道レールを国産化するため、鉄が求められ

  • 高度経済成長期の1960年代、鉄の需要がさらに急増→「鉄は産業のコメ」「鉄は国家なり」と呼ばれた

  • 鉄鋼業は、1990年代まではアメリカ、ヨーロッパ、日本などがリードしていた。

  • 現在は工業化が急速に進んだ中国で鉄の需要が急増し、鉄鋼の生産量のおよそ半数を占めているのは中国。

  • 産業の空洞化:安価な労働力や安い用地などを求めて、企業が海外に進出することに伴い、製造業を中心にした国内の産業が衰退していく現象。
  • 脱工業化:産業の中心が工業ではなくて知識、情報、サービスに特化していくこと。

 

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3問正解。

 

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