古墳時代の王権を「大和」ではなく、「ヤマト」と表記するようになってきた理由。 ~10min.ボックス日本史 200319木曜深夜 アクティブ10
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テレビ放送のアクティブ10枠では春休み期間は「知りたガールと学ボーイ」の傑作選(?)が再放送されています。
が、こちらではWebアーカイブを進めていきます。
10min.ボックス 理科野外観察的分野
第6回 太陽をみる~太陽の1日
太陽の動きは、透明半球や魚眼レンズを使うと観察できる。実はその動きは地球の自転によっておこる見かけの現象であることを、モデル実験を通して考える。
- 前回で第2分野が終了しましたので、今回からは別の分野を。第1分野に進む前に、「野外観察的分野」に取り組みます。
- 第1回~第5回までは小学校理科のような内容なので、第6回から始めることにしました。
- 太陽は地上から観察すると、東から南の空、そして西へと動いているように見える
- 透明半球に太陽の位置を記録していく、という観察について。
- 記録した点を線で結び、実際に太陽の動きを記録した透明半球と比べる。
- ⇒実際に記録したものも、地球儀を回して記録したものも、太陽の動きは同じになる。
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ロンリのちから
第16回 ロンリのちから (16)事実・推測・意見
客観的な「事実」と確実ではない「推測」、そして個人的な「意見」をはっきり区別して考えることの大切さについて学びます
マリア「自分の考えにすぎないのに、まるで客観的で確かな事実のようにして押しつけてくる人っているよね。」
ノーノ「いるいる!」
溝口先生「事実を述べているふりをして自分の考えを押しつけてきたり、事実の中にさりげなく自分の考えを忍び込ませたりするのは世間の常套手段。だまされてはいけないわ。
- 論理的に話し合うためには、事実を述べているのか、自分の考えを述べているのかをはっきり区別しなければいけない
- 自分の考えには、推測と意見がある
- 事実=客観的で確かなこと。
- 推測=まだ確かではないこと。個人の考え。
- 意見=主観的で個人的なことを。個人の考え。
- 事実・推測・意見を分けるというのは、文章を書くときも基本となることのはずなんですが、なかなか難しいね‥
- 自分の考えをまるで事実のように言う人・・・「根拠を言いたくないから」。
10min.ボックス 日本史
第2回 ヤマト王権による統一国家の成立
各地に生まれたクニが次第に統一されていく様子を、中国の史書や日本の遺跡、遺物を通して考える。
- 今は「ヤマト」とカタカナで表記するようになったんですかね。「大和」じゃないんだ?
「ヤマト」というカタカナの表記についてですが、「ヤマト」は現在の奈良県地域を示す地域名称として用いられており、この政治体制が存続した時代には、倭・大和・大養徳などと様々な漢字で表記されてきました。その一方で、「大和」という国名は、7世紀の『古事記』『日本書紀』では使用されておらず、8世紀中ごろに施行された『養老令』から、広く「大和」国と使用されるようになりました。さらに、「倭」は、中国で日本の総称として用いられていました。そのため、地域名称としての「ヤマト」を表す場合、国名の「倭」や「大和」との混同を避けるために、カタカナでその音を表しています
- 3世紀から7世紀ごろにかけて行われた統一国家成立に向けた動きについて。
- 前方後円墳:3世紀後半、奈良盆地を中心に造られた。7世紀の終わりごろまでに各地で造られるようになった。
- ⇒各地の豪族たちが、ヤマトを中心とする政治連合を形作っていった、ということ。=「ヤマト政権」。大王。
- 前方後円墳の「円」の部分に埋葬されている。古墳のふちには埴輪が並べられている
- 6世紀の半ば、中国、朝鮮半島を経て、仏教が伝来。
- 蘇我氏と物部氏が仏教の受け入れ方針について対立。仏教を積極的に受け入れようという蘇我氏。仏教を受け入れてはいけないと反対する物部氏。
- 蘇我氏が勝つ。仏教が国の方針に。
- 冠位十二階:603年。天皇のために働く役人の位を定めた
- 十七条の憲法:604年。役人の心構えを示すために聖徳太子が定めたといわれる
- ⇒第二条「仏法僧を大事にしなさい」。仏は「ほとけ」、法は「仏教の教え」、僧は「僧侶(そうりょ)」のこと。
- 遣隋使。