母Mと息子Sの学習キロク

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日本史・世界史・地理を連続で学習する日は、「どの国もそれぞれ勝手なことをしているな」と思う。  200519火曜 NHK高校講座テレビ

 

火1:日本史

第28回 第4章 近代国家の形成と国民文化の発展 明治維新

江戸時代の幕藩体制は、各藩が独自に政治や税の徴収を行う、いわば地方分権の状態であった。これに対して明治の新政府は「版籍奉還」「廃藩置県」などを行って中央集権化を推し進めた。新政府はなぜ中央集権国家を目指したのか? またそれはどのようにして推し進められたのか? 新政府が同時に進めた「身分制の廃止」や「兵制」や「税制」、そして「学制」に関する改革とあわせて、その目的と内容について考えていく。

 

  • 1868年、明治政府、五箇条の誓文を公布。新政府の基本方針を天皇が示した。公議世論。多くの意見を尊重すること。開国和親
  • 政府は江戸を東京と改称、元号を明治と改めた。天皇は初めて京都を出て、東京に行幸した。
  • 1869年、東京が新しい首都に。新政府は、天皇を中心とした中央集権型の国家体制を目指した
  • 国の近代化を進めるための政策・富国強兵
  • 政府は各藩に版籍奉還を命じた。藩主の所有していた領地と領民を返上させたが、藩主を知藩事とし、引き続き藩政を行わせたため、中央集権にはほど遠いもだった。
  • 1871年廃藩置県。全国の藩を廃止して県を設置するという廃藩置県の詔が、天皇によって発せられた。
  • 旧藩主は知藩事の任を解かれ、かつての領国の支配権=軍事・租税の権限を失い華族の地位を与えられ東京に移住した。旧藩兵の解散と武器・城郭の接収。各府県には中央から府知事、県令を派遣して行政を行わせた。
  • 当初、府県は300以上もあったが、その後、区域が整理されて東京・京都・大阪の3府と72県になった。→幕藩体制が解体され、日本全国が政府の直接統治のもとに置かれることになった。
  • 府県統合はその後も続き、1876(明治9)年には、3府35県まで統合された。
  • 身分制度廃止。大名や公家を、華族藩士と旧幕臣といった武士を、士族。百姓と町人などの庶民を、平民。と改めた。皇族以外はすべて平等ということにした。四民平等
  • 1872年、学制の公布。6歳以上の男女すべてが就学できる国民教育を目指した。
  • 初等教育を重視する教育政策は当時の世界でも珍しいもの。しかし、校舎の建
    設などの負担は地域の住民が負ったため、就学率は地域によって大きく異なった。
  • 女子の就学率が低いなどの問題も。国民皆学が実現したのは日露戦後。
  • 1873年、徴兵令の公布。満20歳に達した男子は士族・平民にかかわらず、3年間の兵役に服することになった。
  • が、多くの兵役免除の規定があったため、各地で徴兵に反対する血税一揆と呼ばれる暴動が発生した。徴兵はお金や物でなく体で国に奉仕するという意味で外国文献の直訳から「血税」と表示されたが、巷では「生き血を吸い取られる」などの妄言が広まり、徴兵令反対一揆の一因ともなった。政府は暴動を抑えたが、その後、免除規定を廃止した。
  • 1889年、国民皆兵
  • 1873年、地租改正条例。全国で土地の測量を行った。土地が誰のものか調査し、それぞれの地価を決めた。
  • 課税対象をこれまでの米の収穫高から地価に変更。物納を金納に。税率を地価の3%とした。⇐税収を減らしたくない政府は、地価を高額に設定していたため、農民の暮らしは楽にならず。各地で地租改正反対一揆が発生。
  • ⇒政府は地租を3%から2.5%に引き下げた
  • 「臣民の三大義務」。1889(明治22)年に発布された大日本帝国憲法で、兵役の義務(第20条)・納税の義務(第21条)が規定された。翌年に出された教育勅語には「学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ」という教育の徳目が盛り込まれた。
  • 岩倉遣外使節団。岩倉具視。欧米各国と結んだ不平等条約を改正するための調査。100人以上のメンバーが、明治4年(1871) に横浜を出発し、約2年をかけて欧米12か国を歴訪した。各国の政治や産業、文化を視察。イギリスで工場見学。プロイセンでは宰相のビスマルクと会見。オーストリアではウイーン万国博覧会を視察。
  • 日本の立ち遅れを痛感して帰国の途へ。
  • 岩倉使節団の中には40人以上の留学生が含まれており、北海道開拓使という省から派遣された5人の若い女性もいた。10歳前後で日本を出発し、およそ10年間のアメリカ留学のあと帰国。
  • 山川捨松アメリカの大学を卒業。英語・フランス語・ドイツ語を駆使して、外国の要人をもてなし、「鹿鳴館の花」とうたわれた。
  • 永井繁子。音楽を専攻し、帰国後は東京音楽学校(現・東京藝術大学)と東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)で、教鞭を執った。
  • 津田梅子。最年少の6歳で留学、高校を卒業して11年後に帰国。再渡米ののち、女子英学塾(現・津田塾大学)を創設。
  • 殖産興業
  • 海運。岩崎弥太郎の三菱会社を手厚く保護し、沿岸の汽船航路を拡充させた
  • 1872年、日本初の鉄道が東京の新橋と横浜の間に開通。徒歩で6時間かかる約30キロの道のりが53分に。
  • 新貨条例円・銭・厘の十進法を採用し、硬貨を発行
  • 国立銀行条例。実業家の渋沢栄一が中心。近代的な金融制度の基礎を整えた。
  • 1870年、工部省を新設。旧幕府の軍需工場や造船所を母体に官営軍事工業の拡充をはかった。
  • 1873年内務省を新設。勧業政策をすすめる。
  • 欧米から機械や設備を輸入して、官営模範工場を各地に建設。
  • 群馬県富岡製糸場など。1872年にフランスの技術を導入して完成した工場では、500人を超える工女たちが働いていた。
  • 質の良い生糸を生産することにより、外貨獲得を目指した⇐当時の日本の輸出品の中心は生糸。
  • 1877年、第1回内国勧業博覧会。東京・上野公園にて。各地から機械や美術工芸品が出品・展示された。民間の産業発展に大きな影響を与えた。
  • 殖産興業政策の推進にともない、三井、岩崎(三菱)らの商人は、政府の保護をうけて金融、運輸、貿易などの部門で莫大な利益を得た。=政商
  • 1871年(明治4年)、散髪脱刀令。
  • 郵便制度。通信。前島密によって、飛脚にかわる近代的な官営郵便制度がととのえられた。
  • 明治10年に電話が輸入され、通話実験が行われる。明治23年、東京・横浜間で一般向けに電話開始。
  • 政府は蝦夷地を北海道と改め、開拓使という役所を置いて、西洋技術を取り入れた開拓事業を進めた。先住民であるアイヌの人たちは土地や漁場をうばわれ、生活を圧迫されていった。

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3問正解。

 

 

 

火2:世界史

第28回  アメリカ合衆国の発展

今回は、アメリカ合衆国が独立から一世紀の間にいかなる発展を遂げたかを学ぶ。アメリカは19世紀末までに領土を太平洋岸まで拡大した。しかし、その過程では、先住民が居住地から追い出されて人口を激減させ、奴隷制の拡大をめぐって南北戦争が勃発するなど、悲惨な出来事も多く起こった。南北戦争後、奴隷制は廃止されるが、黒人に対する差別は根強く残ることになる。そして世紀末、産業化するアメリカはスペインとの戦争をきっかけに植民地を持つ帝国となった。

 

  • アメリカは独立から約100年で、領土は3.4倍に、人口は約14.3倍に増えた。
  • 18世紀後半に独立後、国土は西へと急速に拡大した。西部への開拓を奨励し、開拓した土地は開拓者のものになった。
  • 西部開拓は、先住民インディアンの土地を奪う形で行われた。
  • 19世紀に入ると、アメリカはフランスからルイジアナを、スペインからフロリダを獲得して領土を拡大した。
  • メキシコから独立したテキサスを併合後、1846年にはメキシコと戦争ニューメキシコからカリフォルニアに至る広大な土地を手に入れる。
  • 1830年代、アンドルー・ジャクソン大統領。白人男子の普通選挙制が導入され、民主主義の発展が見られた。が、ジャクソン大統領は、インディアン強制移住を成立させるなど強硬策をとった。
  • アメリカの領土拡大は、先住民の居住地を奪い、強制移住を強い、先住民人口の急減をもたらす残酷なものでもあった。
  • チェロキー族は1000km以上にわたる冬場の強制移動をさせられた。寒さや病気のために数千人が亡くなったといわれる。
  • 先住民の部族らが反乱を起こす。その一つ、プエブロ・デ・タオスの人々の蜂起。1845年、彼らの土地がメキシコからアメリカへ割譲されたのをきっかけに、アメリカへの大規模な反乱を起こした。が、アメリカ軍によって撃退され、最後は教会堂に立てこもり敗北。教会堂も破壊され、今は墓地が残るのみ。
  • →現在は、ニューメキシコ州北部の世界遺産となっている。14世紀ごろ、プエブロと呼ばれる先住民たちが作った建物。土で作られた集合住宅。今も、プエブロの伝統を守る約150人の人々が暮らしている。
  • アメリカは、先住民の土地を次々に奪いながら、西部を開拓を続ける。
  • マニフェスト・デスティニー(明白な天命):西部への拡大を正当化するために出されたスローガン。西部への拡大は、神が与えた使命だから正しいと主張
  • アメリカの南部では、広大で温暖な土地を利用して、綿花やタバコの栽培を中心とした農業が盛んだった。黒人奴隷の労働力による。奴隷売買。黒人奴隷を使って生産した綿花をイギリス向けに安く輸出したい南部は、自由貿易を望んでいた。
  • 北部の基幹産業は工業。労働の中心は白人で、奴隷は必要なかった。先進工業国であるヨーロッパとの競合を避けるため、保護貿易を望んでいた。
  • アメリカでは西部の開拓に伴って、南部と北部との対立が次第に深まっていった。
  • 新たに連邦に加わる州を奴隷州とするか自由州とするかをめぐる対立は、1850年代以降激化した。
  • 1860年奴隷制拡大に反対する共和党のリンカンが大統領に当選すると、南部諸州は連邦からの離脱を決め、アメリカ連合国を結成した。
  • リンカンは奴隷制の拡大は止めたいが、アメリカが分裂することも避けたいと考えていた。
  • 1861年(~1865年)、南部の離脱を認めない北部と南部との間で軍事衝突が勃発、南北戦争が始まった。戦争は長期化し、多くの犠牲者を出した。
  • リンカンはこの状況を打開しようと、奴隷制を掲げる南部が国際社会から孤立することを狙い、1863年奴隷解放を宣言北軍は一気に優勢となり、南北戦争に勝利。
  • 奴隷は解放され、憲法修正で黒人の市民権も認められた。北軍がしばらく南部を占領し、黒人に政治参加を促すなど改革を進めた。しかし、北部による占領の終了後、南部では黒人を政治から締め出し、公共施設で隔離するなど、差別はその後もなくならなかった。南部の州はそれぞれ黒人の権利を制限する州憲法を制定し、実際には差別や人種隔離政策などの問題が残った。
  • →これらの制度が廃止されるのは、20世紀半ば、キング牧師などによる公民権運動を待つことになる。
  • 19世紀後半、戦争に勝利した北部では、ますます工業が発展。
  • 1869年。鉄道の敷設。東海岸と西海岸を結ぶ大陸横断鉄道が開通。物資の大量輸送が可能になった。
  • カーネギー。後に鉄鋼王と呼ばれる。このころ、鉄道のレールを作る会社を興し成功した人物。レールを作るだけでなく鉱山を購入し、原料の入手から輸送、完成品に仕上げるまで全てを行う巨大企業を作り上げた。
  • 大陸に張り巡らされるようになった線路に沿って、電信ネットワークも敷かれた。
  • トーマス・エジソン。電信の技術を独学で身につけ、20代のうちに、電信機の改良などをはじめとする100件以上の特許を取得。4000人以上のスタッフを抱える大きな研究所を構えた。→現在のニュージャージー州トーマス・エジソン国立公園(エストオレンジ研究所跡)
  • エジソン白熱電球を発明。発電所と送電システムも作り、各家庭で電球が使えるようになった。
  • ベル。電話機を開発。大陸内の情報インフラが整う。
  • 鉄道王ヴァンダービルト。石油王ロックフェラー。実業家たちが、巨大産業を作り上げる。
  • 1898年、アメリカはスペインと開戦。キューバがスペインから独立することを支援するという形で。キューバを舞台に行われたスペインとの戦争は、スペインの植民地であったフィリピンにも飛び火。フィリピンはアメリカに併合されて植民地化に。キューバ保護国化。ハワイもこの時アメリカに併合された。
  • この戦争を通じてアメリカは、カリブ海地域に強い影響力を持つようになった。

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3問正解。

 

 

火3:地理

第28回 現代世界の地誌的考察 【現代世界の諸地域】編 世界のさまざまな地域を見てみよう ~朝鮮半島

朝鮮半島は歴史的にも文化的にも日本と交流の深い近隣関係にある。はじめに、朝鮮半島の自然と人々のくらしの特徴を理解する。つぎに、韓国の経済発展と産業の発展をとりあげ、1960年代以降の韓国経済の歩みを振り返り、今日の韓国が工業製品輸出をテコとして成長してきた歴史を知る。さらに、日韓交流の歴史が変化している状況を把握し、日韓両国間の相互理解と相互利益の追求が重要な理由を学んでいく。特に、両国間の関係が近隣諸国また世界に対してもつ影響も視野に入れながら、共に責任ある国家同士としての関係構築が重要であることを確認していく。

 

  • 朝鮮半島。中国東北地域の東側。ロシアともトマン川(豆満江)を挟んで接し、南北におよそ約1000kmの長さ。
  • 南部は温帯に属する。夏は湿潤で蒸し暑い温暖湿潤気候の最南部と、そのすぐ北の温暖冬季少雨気候に分かれる。後者では冬は緯度のわりに寒冷。
  • 北部は大陸性の亜寒帯冬季少雨気候に属する。夏は涼しく、冬の寒さは厳しい。
  • 朝鮮半島の面積は全体で日本の58.4%ほど。南部の韓国の面積は朝鮮半島のおよそ 45%で、日本の約4分の1。
  • 北部の北朝鮮の面積は朝鮮半島のおよそ55%で、日本の約3割ほど。
  • 現在の人口は、韓国が5,125万人、首都ソウルに人口の5分の1が集中。北朝鮮は韓国の約半分の2,490万人。
  • 北の朝鮮民主主義人民共和国と南の大韓民国。1950〜53年の朝鮮戦争の結果、軍事境界線=休戦ライン(38度線)で分断され、その南北2kmずつを非武装地帯とし無人の地域としている。
  • 板門店にある軍事停戦委員会本会議場は例外的に両国による共同警備が行われている。
  • 韓国は1973年から重化学工業に力を入れ、輸出志向型の工業化を進めた。漢江の奇跡と呼ばれる高度経済成長を達成。
  • 北朝鮮社会主義経済国家で事実上の独裁体制。旧ソ連にならい計画経済を導入し、軍事優先の先軍政治を掲げ、軍事費は世界1位といわれる。
  • 戦後の韓国は、1960年代前半までは農業国だった。資源が少なくGDP(国内総生産)で北朝鮮を下回っていたほど。
  • →1960年代半ばからの急速な経済開発。産業構造の高度化、輸出拡大、経済成長を実現。安価な労働力を利用した軽工業が中心であったが、1970年代初めから重化学工業の発展を目指し、輸出志向型工業化に成功を収めた。
  • 1996年には OECD(経済協力開発機構)へ加盟
  • 1997年7月にタイで生じたアジア通貨危機の影響を受け、韓国経済は大きな困難に直面した。←財閥系企業の破綻などを原因として金融機関が不良債権を抱え、経済状況が大幅に悪化していたところに追い打ち。外国資本の投資引き揚げも重なり、危機を深めた。
  • →経済運営を一時的にIMF(国際通貨基金)にゆだねるなどの国際的支援を受けた。経済立て直しのために財閥企業の統合や改革を行った。IT産業を中心とした経済対策などを進めた。
  • 2008〜09 年にはリーマンショック。国際収支の赤字を抱えていた韓国は、対外債務の償還時期も重なり、自国通貨ウォンの大幅下落に直面。ウォンと外国通貨との為替相場の安定を図るスワップ協定アメリカと結んだ。また、日本と結んでいた日韓通貨スワップ協定額を拡大するなど、各国からの協力を仰いだ。
  • 現在は経済が好調な一方で、韓国が抱えている課題は、大きく次の3点がある。
  • (1)首都ソウルに総人口の5分の1が一極集中していて、農村人口が急激に減少していること。
  • (2)財閥主導のため中小企業が育っていないということ。
  • (3)若い世代を中心に非正規雇用者の割合が高く、経済格差を生み出している。
  • 世界のマーケットで、日本は国際分業の川上と川中にあたる製造分野(資源や原材料の生産、製造のための機械や部品など中間製品の生産)をつかんでいる
  • 川下にあたる完成した製品とその販売の分野では中国や韓国が台頭している。韓国や中国が技術力をつけて、最近は徐々に上流へと進出し始めている
  • 333点の朝鮮通信使の記録が、ユネスコ世界の記憶に登録された 

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3問正解。

 

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音色の違いは、音波の振動数の含まれ方の違い。 ~物理基礎 200515金曜 高校講座テレビ

  

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金1:化学基礎

第27回  水素イオン濃度とpH

水溶液には、強い酸性・弱い酸性、中性、弱い塩基性・強い塩基性など、さまざまな溶液があります。今回は、水溶液がどの程度の酸性・塩基性の強さなのかを表す方法について学習をしましょう。

 

  • 「美」について研究しているローザ。
  • 純水は、水分子のごく一部が電離して水素イオンH+と水酸化物イオンOH−が生
    じている。それぞれのモル濃度を、水素イオン濃度[H+]水酸化物イオン濃度
    [OH-]という。
  • 25°Cの純水では、[H+]=[OH-]=1×10-7mol/L。
  • 中性の水溶液では、[H+]=[OH-]
  • [H+]が増えると[OH-]が減り、[H+]が減ると[OH-]が増える。
  • 「温度が一定ならば、水素イオン濃度水酸化物イオン濃度の積は一定の値にな
    る」という関係。
  • 水素イオン濃度の指数の数字からマイナスの符号を外した値がpH。
      [H+]=10-n mol/Lのとき pH=n
      酸性:pH<7中性:pH=7塩基性:pH>7
  • 100%の純度の水=純水は、電気を通さないが、純水はごくわずかながら電気伝導性を示す。

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3問正解。 

 

金2:物理基礎

第27回 第2編 さまざまな物理現象とエネルギー 音のちがいを決めるもの ~音波~

ピアノの鍵盤をポーンと叩くと,誰が弾いても同じ音が出る。いやいや,素人の弾く音と玄人の弾く音は全然ちがう!という意見もあるだろう。さて,一体何が違うのだろうか。ひとえに同じ「音」と言っても,音量,音程,味わいなどが違うだろう。ところで,音声認識技術というものがある。喋った言葉をパソコンなどが認識してくれるものだ。なぜ「あ」という音と「い」という音を識別できるのだろう。音はただの空気振動に他ならないのに,その振動のわずかな変化を聞き分けることができる。音を特徴づける要素は一体何なのだろうか。

 

  • 音声認識についてわかるかもしれない回。
  • 音は空気などを媒質とした疎密波(縦波)。振動が伝播していくことで伝わって行く。
  • 音の三要素:音の大きさ、音の高さ、音色 
  • 音の大きさの違いをオシロスコープを使って調べる。オシロスコープを使うと音の様子を見ることができる。マイクで音を電気信号に変え、その電気信号をオシロスコープで表示する。すると波の形が見えてくる。
  • 太鼓の前に置いたマイクロフォンで太鼓の音を拾うと、太鼓を強くたたいて出した大きな音の方が、弱くたたいたときに比べて振幅が大きくなる。
  • 音が大きいほど振幅が大きい 
  • 音の高さが違う2つの音叉を使い、オシロスコープの波形で比べてみる。
  • 同時に2つの音叉を鳴らすと、低い音は波が少なく、高い音は波が多く表れる。
  • 音が高い方が一定時間に振動する数、つまり振動数が多い
  • バイオリン、ギター、ピアノの音色の違いを、オシロスコープで見てみると・・・同じラの音でも、まったく違う波形があらわれた。
  • 音色が違うと、波形が違う
  • ・振幅が大きいほど大きな音に 振幅が小さいほど小さな音に聞こえる
    ・振動数が大きいほど高い音に 振動数が小さいほど低い音に聞こえる
    ・波形が違うと音色が違って聞こえ 波形は色々な振動数の含まれ方で決まる
  • 同じ音に聞こえても、波形が違うということがある
  • 振動数の含まれ方の違い
  • 音声認識‥‥音にどんな振動数がどのように含まれているのか、また他にもそれがどう時間変化していくのかなど、いろいろ複雑なことを分析して言葉を認識している。
  • ステレオ放送も、2つの耳に入る音の時間差などをうまく使い、奥行きなどを表現している。
  • わずかな時間差を耳(聴覚)で聞き分けている。
  • 音の速さ V=331.5+0.6t  
  • t は温度℃。音の速さは空気中の温度で変わる空気中の音の速さは、温度が高いほど速くなる
  • ↑この関係式は空気中を伝わる音の速さを表す式であり、水中や固体中を伝わる波の速さは別の関係式となることに注意!
  • うなり。鐘の音など。振動数のわずかに異なる2つの音を同時に鳴らすと生じる現象のこと。
  • 1秒あたりのうなりの回数は、2つの音源の振動数の差である 
  • 1秒あたりのうなりの回数をf とすると、fA〔Hz〕とffB〔Hz〕の差が小さいとき・・・
  • ⇒⇒f =|f A-f B| という式が成り立つ。

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3問正解。 

 

 

金2:世界史(新作)

第5回 古代インド

2千数百年前にインドで誕生した仏教は、その後、世界の三大宗教の一つとなるほど広まり、日本人の信仰にも大きな影響を与えてきた。今回は、仏教がどのような社会背景のもとで生まれ、どのような人々に支持されたのか、それがどのようにアジア地域に広まっていったのかを追い、またその後インドでは仏教がどのような運命をたどったのかを見ていく。 

 

  • 新作講座は、旧作講座よりも、見ていて飽きる。旧作のほうに慣れすぎてたせいもあるのかしら。

 

  • 紀元前2500年ごろ、インド北西部のインダス川流域に古代文明が興った。インダス文明
  • その後、いくつもの国が興亡を繰り返し、古代インド社会を形成してく。
  • ガウタマ・シッダールタ前6世紀〜前5世紀):仏教を始める。ヒマラヤの下の方の部族・シャカ族の王子として生まれた(←お釈迦様)が、国や家族、子どもを捨てて出家し、修行の道を選んだ。
  • ヴァルナ:古代インドにおける身分についての観念。身分・階級は厳密に分けられていた。のちのカースト制度つながっていく。
  • 最上位 バラモン。複雑で厳密な祭式を執り行う司祭者。
    王侯・武士
    農牧民や商人などの平民
    征服された人々からなる隷属民
    最下位 不可触民
  • ヴァルナを生み出したのは、アーリヤ人。もともとは中央アジアで牧畜生活を営んでいたが、南下してインダス川流域を支配。さらに、東に進んでガンジス川流域で農耕を行うようなった。その過程で、農業生産に携わらない司祭者や武士などの身分が生まれていった
  • 輪廻の思想。インドの人々の間に強く広まる。人は、生まれてから、病の苦しみ、老いの苦しみを経て、死に至る。死後は、すぐにまたどこかで何かに生まれ変わり、同じ苦しみを味わう。過去から未来永劫まで、際限なく繰り返していかなければならないという輪廻から逃れることを解脱という。
  • 解脱・・・出家して修行をし、悟りを開くことが必要だと考えられていた。
  • ジャイナ教という同時代の非常に有力な宗教があった。とても厳しい修行。
  • シッダールタも非常に長い間苦しい修行を積んだが悟りを得ることはできなかった。→瞑想ブダガヤの菩提樹の下で、ついに悟りへ。以後、悟りを開いた人・ブッダ(”目覚めた人”という意味)と呼ばれた。
  • 八正道
  • ブッダの追随者が増加。ブッダの教えに従うことで、自分たちも悟りに至ることができるようになると信た。教団が大きくなる。
  • ブッダの死後、教団が分裂。ブッダが批判していたバラモンたちが仏教に対する攻撃を深める。仏教の危機。
  • →→アショーカ王の登場。ガンジス川の流域マウリヤ朝という古代インド最大の帝国が誕生。その第3代の王。紀元前3世紀に即位。
  • アショーカ王のもと、支配域はほぼインド全体にまで広がっていき、インド初の統一王朝となった。支配を広げる過程で、近隣諸国で殺戮を重ね、数十万の犠牲者を出したと伝えられている。
  • →→アショーカ王は、自らの行いを深く後悔し、仏教に救いを求めるようになった。仏教を保護し、その教え・ダルマ(真理・法)に従った政治を行う。 
  • 仏教の経典の編纂。あちこちに散らばっていた仏教経典を集めた。
  • スリランカに息子を派遣し、そこに仏教を布教させた。→海上交易のルートに沿って東南アジアにも仏教は広まっていくことになった。
  • 上座部仏教:東南アジアで信仰されている仏教は、自ら出家して修行して、自分自身の解脱を目指すもの。
  • 大乗仏教:日本に伝わったもの。出家して修行する人だけが救われるのではなく、大乗(大きな乗り物)に一般の在家の信者も乗せられて救われると考える。陸を通じて、中央アジア、東アジア、日本へと伝わった。
  • マウリヤ朝は、アショーカ王の死後、急速に衰退。
  • 紀元1世紀頃、クシャーナ朝インダス川流域を支配。仏教は、クシャーナ朝でも保護された。
  • クシャーナ朝の時代に、初めてブッダの像、仏像がつくられた。顔立ちや衣のひだの表現などに、ギリシア文化とエジプト・オリエントの文化が融合したヘレニズム文化の影響がある。
  • 仏像は、大乗仏教の発達とともに盛んになっていき、弥勒菩薩阿弥陀如来など、さまざまな仏の像が生まれた。
  • それまでの仏教では、仏塔や菩提樹、そしてブッダの足を象徴する仏足石などが信仰の対象。ブッダ像をつくるのは畏れ多いと考えられていたため。
  • 仏教は、アジア各地に広まる一方で、インドでは5世紀ごろから衰退しはじめた。
  • 仏教の支持基盤であった都市の商人が、商工業の不振により、仏教僧の活動を支えられなくなった
  • 仏教の隆盛で自己改革を迫られることになったバラモン教も、それまでの祭祀至上主義から、民衆の土俗的な世界観(ヒンドゥー)を取り入れ、巻き返しを図った。
  • バラモン達は、民衆の信仰により近いヒンドゥー教の担い手となり、支持を集めた。王権と結びつくことで仏教への攻撃を強め、仏教は影響力を失っていった。
  • 10世紀ごろ、イスラム勢力の侵入。多くの仏像や寺院が破壊され、インドでは仏教が消滅した。 
  • 北インドは、東と西でかなり特徴が異なる。
  • 西側のインダス川流域を中心とした地域・・・非常に乾燥した地域、砂漠。稲作に向かない。小麦中心の農業。ナンのような小麦を発酵させたパンへ。
  • 東側・・・稲作中心の地域。カレーもライスで食べることが多い。
  • 南インドにも独自の特徴がある。

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3問正解。

 

 

 

金3:地学基礎

第27回 第4編 私たちの空と海・地球のこれから 地球の大気

地球の大気は,ほかの惑星とは違い,地球の歴史の中で変化してきました。地球の大気には独特な組成があり,複雑な構造があります。この地球の大気を正しく知ることが気象の学習の入り口です。地球の大気は人の目には透明に見えますが,昼間は太陽の光によって青く輝き,雲が発生し,オーロラや流星などの発光現象が見られます。大気の観測や観察の結果を用いて,大気の構造を正しく理解しましょう 。

 

  • 大気の厚さは約100km。地球の半径の60分の1。
  • 地球の大気の組成。水蒸気を除くと、窒素が78%で酸素は21%、他にはアルゴンが0.9%、二酸化炭素は0.04%。
  • 地球に近い金星や火星の大気は、ほとんどが二酸化炭素
  • 高度約80kmまではこれらの気体はよく混合されていて、この割合は一定である。
  • 初期の地球の大気は二酸化炭素や水蒸気が多かった。その後、原始海洋に二酸化炭素が溶け込み、窒素が一番多くなった。
  • さらに生物の光合成によって酸素がつくられ、大気中に増えていった。
  • 大気圧。気圧。その場所より上にある空気の重さで決まる。
  • 海抜0mでの標準的な気圧の値は1気圧でおよそ1013hPa(ヘクトパスカル)
  • 気圧は地上の物体にあらゆる方向からはたらく
  • 1気圧=1平方cmに1kgの重さがかかっているのと同じぐらいの圧力。大気圧は、外側からだけでなく、内側からも外に向かってかかっている。体の内側からも大気圧と同じ力が働いているため、大気圧を感じない。
  • 高度が上がるにつれて上にある空気の重さが減少するため、気圧は下がる
  • 気圧が下がると空気が膨張する。高度が上がると気圧が下がり、空気が膨張して気温が下がる。
  • 地球の大気は対流圏、成層圏、中間圏、熱圏という4つにわけられる。
  • 大気の温度・気温は、対流圏の中では高度とともに低下する。
  • 対流圏:地上から高度10〜12km周辺まで。
  • 太陽によって暖まった地上の平均気温は約15°Cだが、対流圏の最も上(圏界面、高度8~15km)では、−55°C程度まで下がる。この対流圏の中で雲や降水などの気象現象が見られる。
  • 高度が12kmより高くなると、気温の低下は一旦止まり、高度20kmぐらいから徐々に上昇していく。
  • 成層圏:対流圏の上の、高度50km程度まで。高度とともに気温が上がる。成層圏にはオゾン層があり、オゾンが太陽からの紫外線を吸収して大気を暖めるため。
  • 高度が上がるほど紫外線が強くり、オゾンの密度が低くなる。しかし、密度が低いと少しのエネルギーでも温度が上がるため、オゾン層がなくなった高度30kmより上でも、気温は上がっていく
  • 中間圏成層圏の上の、高度高度50kmから80km付近まで。大気の密度はかなり小さく、酸素がとても少なくなる。オゾンもわずかしかないため、高度が上がるにつれて気温は下がっていく。対流圏と同様に高度とともに気温が下がっていく。
  • 高度80kmで気温の低下が止まり、その後再び上昇。
  • 熱圏:中間圏の上。オーロラや流星が発光する。熱圏は太陽からのX線などを吸収するため大気の中で最も気温が高い。分子などが激しく運動することで熱を発生している。

NHK高校講座 | ライブラリー | 地学基礎 | 第27回 第4編 私たちの空と海・地球のこれから 地球の大気

3問正解。 

 

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宵の明星・明けの明星。金星の動きを整理する(ややこしい)。 ~理科観察 200514木曜深夜 10minボックス

10min.ボックス 理科野外観察的分野

第13回 星をみる~金星の見え方

夕方に一番星として見えたり、明け方に輝く星として見えたりする金星。惑星の一つである金星の見え方を調べ、そのしくみをモデル実験で考える。

 

  • 映像を見ながらの説明ならばなんとなくわかるけど、自分の頭の中だけでは星の動きをいまひとつはっきりと想像することができない。立体図形と同じような難しさがある。テスト対策としては丸暗記していた分野です。
  • 金星は、太陽と月を除くと、最も明るく見える星。
  • 西の空に見える金星は、よいの明星と呼ばれる。よいの明星は、太陽を追いかけるように沈んでいく
  • 東の空に見える金星は、明けの明星と呼ばれる。明けの明星は東の空を昇っていき、やがて太陽が現れると見えなくなる
  • 金星は地球よりも内側を回っている。地球は太陽の周りを365日で一周するが、金星は225日で一周する。
  • 太陽・金星・地球の順(金星が真ん中)に一直線に並んだときから始めた場合、このときの金星の位置を内合という。
  • 1か月後、2か月後、3か月後、4か月後と、太陽の周りを回る周期の短い金星が先に進み、地球と金星は次第に離れていく
  • 10か月後、太陽をはさんで地球と金星がほぼ一直線に並ぶ。金星・太陽・地球(太陽が真ん中)。ちょうど一直線に並んだこのときの金星の位置を、外合という。
  • 外合を過ぎると、今度は地球と金星は近づいていく
  • 19か月後、金星はほぼ地球に追いつき、20か月後には完全に地球を追い越す。
  • 地球と金星は、584日ごとに内合を繰り返す
  • 内合のとき、金星は太陽の方向にあるため地球からは見えない
  • 内合を過ぎると、地球の自転の方向から、地球から見える順序は金星、太陽となる。⇒明けの明星。太陽より先に東の空に現れる。
  • 外合のとき、金星は太陽のうしろに隠れて地球からは見えない
  • 外合を過ぎると、地球から見える順序は太陽、金星となる。⇒よいの明星。太陽を追いかけるように西の空に現れる。
  • 太陽と金星の位置関係により、金星の形や大きさが違って見える。
  • 内合から外合のあいだでは右側が欠けて見える。
  • 外合から内合のあいだでは左側が欠けて見える。
  • 内合に近いほど金星は大きく欠けて見える。

 

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10min.ボックス 日本史

第9回 江戸時代の文化

江戸、京、大坂の三都はにぎわいを見せ、学問・教育の発達、絵画、諸芸能などさまざまな面で文化が開花した。江戸期の諸文化を見る。

 

  • 江戸時代は経済的余裕が生まれ、人々は娯楽や学問にも時間を割けるようになった。
  • 江戸幕府が開かれてからおよそ100年経った元禄のころ、文化の中心は大坂や京都などの上方だった。
  • 江戸時代も終わりに近づいた文化・文政のころになると、文化の中心は江戸へと移り、庶民が楽しむものが増えていった。 
  • 5代将軍徳川綱吉のときの元禄時代。商品は遠くの町へ運ばれるようになり、とくに大坂を中心とする上方と江戸のあいだでは、人や物が多く行き交った。
  • 天下の台所」といわれた大坂では、町人が力をつけ、武士などとともに元禄文化を担っていた。
  • 俵屋宗達風神雷神図屏風
  • 尾形光琳『八橋蒔絵螺鈿硯箱』
  • 土佐光起『源氏物語図屏風』
  • 元禄時代の作品の多くは、豪華で洗練されたもの。 
  • 人形浄瑠璃や歌舞伎などの芝居。
  • 脚本を書き、人々の心をつかんだ近松門左衛門。生涯でおよそ120の作品を書いた。人形浄瑠璃の一座に加わり、語り手である太夫のもとで修業をんだ。33歳のとき、「時代物」とよばれる芝居『出世景清』が大ヒット。源氏と平氏の戦いで、源頼朝に敗れた武士の物語。
  • 自分の書いた脚本に「作者 近松門左衛門」と記した。←それまで脚本の作者名は記されることがなかった。 
  • 曽根崎心中』。大坂の町で起きた、若い男女の心中事件を題材にした。実際の出来事を元に書かれたものは「世話物」とよばれた。 
  • ターヘル・アナトミア』、オランダ語で書かれた医学書。医者の杉田玄白前野良沢らが日本語に翻訳し、日本の医学の発展に大きく貢献。『解体新書』。
  • 『解体新書』は日本の医学の進歩に大きな役割を果たしただけでなく、人々がオランダ語で学ぶきっかけともなった。オランダのことを「阿蘭陀」と書いていたため、「蘭」の文字からオランダ語の本から学ぶことを蘭学と呼んだ。
  • 1800年ごろ、江戸の最盛期。文化・文政時代の名から取って化政文化
  • 化政文化を支えたのは町人たち。
  • 歌川広重東海道五十三次。江戸の日本橋から京都へ向かう東海道の53の宿場町を描いた浮世絵。
  • 広重は当時のベストセラー小説『東海道中膝栗毛』に注目し、登場人物の弥次さん、喜多さんが見たであろう東海道の風景を浮世絵にした。
  • 浮世絵はそれまでは肉筆とよばれ、一点一点手で描かれていたが、江戸時代のなかば以降、版画で同じ浮世絵を何枚も作るようになった。絵師が墨で絵を描き、配色を決める。彫師は絵の線の部分のみを残して彫る。色をのせる部分は別の板に彫り、色ごとに版を変える。版が完成すると摺師が、色がずれないように刷る。
  • 絵師がフィーチャーされがちだが、浮世絵を再現する映像などを見ると、摺師の技術もとんでもないことに気づく…
  • 大量に作られるようになった浮世絵の値段は、そば1杯と同じくらいの手ごろな値段だった。
  • 寺子屋。子どもたちが読み書きやそろばんなどを習った。先生は、武士や医者、僧侶など。寺子屋は、江戸や京都から次第に全国各地へ広がった。読み書きそろばんの知識は、文化の広がりを後押しした。