南米スペイン語で「いいとも!」と言うには? ~旅するスペイン語 200225火曜深夜~200226 語学講座テレビ
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おもてなしの基礎英語
Session17
That would be rude.
それは失礼になるのでは…。
would は仮定法で「もし~なら」というニュアンスで、直接的な言い方を避けています。rude は形容詞で「無作法で、マナーに反している」という意味合いです。
- アキラもKOBE BEEF食べたーい
- 神戸牛のビーフジャーキーはたしかにうまそうだ
- a sip of ~ ~を一口、一すすり
- キーフレーズはrude部分を別の形容詞に変えることで汎用性が上がる。
- That would be great.
- That would be difficult.
- That would be lovely.
おもてなしの基礎英語 | キーフレーズの並べ替え | NHKゴガク
ボキャブライダー on TV
面接
● interview 「面接」
● I have an interview with the director in New York. 「ニューヨークで演出家と面接があるんです」インタビューというと、ニュース番組でよく見かける「街頭インタビュー」や有名人を取材した「インタビュー」などを連想するかもしれません。しかし英語のinterviewの基本的なイメージは片方が質問して、もう片方が答えるという形で話をすることです。例えば、研究や実験で被験者にいろいろ質問して答えてもらう“質問調査”もinterviewと呼ばれています。その他には「警察の事情聴取」もinterview(またはpolice interview)と言い、就職などの「仕事の面接」もinterview(またはjob interview)と言います。基本的に“質問する側”と“される側”という役割があって、情報入手や適合性の判定などのためにおこなうもので、ただ会って対話することはinterviewとは言いません。
- interviewのこの意味は初めて知った。ボキャブライダー侮れないわ
- 上村さんはこの春で番組から卒業するのかしら
旅するスペイン語
第20課 今月の復習~アルゼンチン北部で新発見~
“ 今月は「日本から来ました」「とても興味があります」というフレーズを駆使して、北部ならではの珍しい楽器と触れ合った。リャマ先生とグリスの「ところ変われば異なるスペイン語」は最終回。メキシコで「すごい」と言うときは「お父さん」を最上級で叫び、ビックリしたときは「息子」の変化形で伝えるという。ペルーのビックリはなぜか「かたつむり」。コロンビア、エルサルバドル、キューバの人々も交えて白熱トークを展開する。 ”
- そういえば今シーズンの「旅するスペイン語」はミッションに挑む回があんまり無い? 復習の回は総集編みたいになってますね。カフカさんが既に基本会話をできてしまう人で、他の旅するシリーズでのミッション相当のことも普段の回でもできちゃってるからかな。(ミッションっぽいことはむしろ初回だけ?)
- ¿De donde venis? どこから来たの?(南米での動詞活用) ※アクセント記号等省略
- Vengo de Japon. 日本から来ました。
- Tengo dolor de cabeza. 私は頭が痛いです。
- 南米諸国のスペイン語の差異についてのミニコーナー:いいとも・わかった の意はほとんどがValeかOK(オカ。英語から)だが、アルゼンチンではDale. でもスペインではDaleは「やなこった」のような逆の意味になるから注意。ラジオまいにちスペイン語でも学びました。
ロシアゴスキー
サンクトペテルブルク編 Урок 8 ロシアのロック音楽を体感!
“ サンクトペテルブルクは、ソビエト時代の伝説的なロックミュージシャン、ヴィクトル・ツォイの出身地。彼は市内のアパートのボイラー室で働きながら音楽活動を続け、ロックバンド「キノー」を結成。1980年代に大人気となったが、交通事故で亡くなった。いまはライブハウスとなっているボイラー室を訪ね、ライブを体験。「次のコンサートはいつですか?」というフレーズを使えば、ライブの予定を確認することもできますよ! ”
Когда следующий концерт?
次のコンサートはいつですか?
следующийは「次の」、концертは「コンサート」。когдаは「いつ」、という意味の疑問詞で、催し物などが行われるスケジュールや、乗り物がいつ来るかを尋ねるときにも使えます。
- この回、夏ごろに視聴済みでした。
- 元共産圏は庶民が抑圧されていた印象が強くて、ロックミュージックやポップミュージックも聴かれていたのだ、ということが自分には想像しにくかったのですが、限られた環境下でも人々は音楽を楽しもうとしていたんだな、ということに触れられた回です。
- ヴィクトル・ツォイの容貌はちょっとアジアのテイストも感じるな。
- " ソビエト社会主義共和国カザフスタンのクズロルダ出身の朝鮮人(いわゆる高麗人)エンジニアの父と、レニングラード(現:サンクトペテルブルク)出身のロシア人教師の母を両親の間にレニングラードに生まれる。 "
- ↑ 調べたら、やっぱりアジアの血が。中央アジア(~スタン)ルーツかなと思ったら、高麗とは。
- 当時のソ連の政策を批判するような歌もあって、、「交通事故死」か。きな臭いものも感じるけど…(スターが夭逝するとむしろ神格化されうるから単純にアン・サツなどはしないだろうとも思うけど
- フィギュアスケートのメドベージェワ選手が平昌五輪のエキシビジョンでキノーの曲(女性歌手カバー版)を使っていたそうです
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